「引き寄せ」という言葉が流行る何年も前から、なんでも引き寄せている感覚があった渡邊です。
「引き寄せ」という言葉と概念が世に広まり始めた頃、なんでそんな当たり前のことで世の中騒いでるんじゃ?と思いました。思っていることはだいたいその通りになる。これ、子どもの時からそうなんですが、一般的にはそうじゃないんかな?
今、山に住んでいる私ですが、山に住む数年前から、「山に住みたい」とポツポツつぶやいていたんですよね。
結果、すごく願ったわけではないのに、山に住む流れに引き寄せられて、今山に住み、街に帰るタイミングを完全に見失っています…。
そんな私の、超最近の「引き寄せ」。そんなことある???っていう話を、今日はツラツラと綴りたいと思います。
全く誰の役にも立ちませんが、お暇でしたらお付き合いください。
「カメなら飼ってもいいよ」
子どもたち、特に次男は、小さい時から生き物が大好きで、埼玉のおうちにいるときも、まー、虫かごがとにかく増えて、いつも何か飼っていました。
私は、生き物を飼うのが好きじゃなく…、出来ればそれぞれの生き物がいるべき場所でベストな暮らしを送るのがよいと思っているのですが、次男は言い出したら聞かないので、虫かごはどんどん増えておりました。
山に来てからは、ヘビとかトカゲとか、爬虫類をつかまえまくり…。さすがにヘビはやめてくれと言いましたが、トカゲに至っては、もう「なんかかわいいじゃん」と思うまでに情が移りました。
(私が生き物を飼いたくない理由は、情が移りすぎて召されたときに悲しすぎるからです…)
情が移るとはいえ、やっぱり虫とか爬虫類が家の中にいるのは、ちょっとあんまり…なんですけどね。
そんな私が、ある日突然「カメなら飼ってもいいかも」と言い出したのです。
家から1時間ほど離れた松阪市内を運転している時、歩道をカメが歩いているのを目撃したり。迷子のカメの情報に偶然出会い、そのカメが松阪を闊歩していた迷いガメだったんではないか説が浮上したり。
インスタで、カメがスケボーしているのを見たり。男の子とカメが心を通わせている動画をみたり。それに感動したり。
川で大きなカメに出会ったり。お友達が飼い始めた小さなカメが、すごく可愛かったりして…。
「ご縁があったらカメなら飼ってもいいよ」と、いつもの私だったら絶対言わないようなセリフが、出てきてしまったのでした。
そして出会ったカメ
ある日、山道をぶい~~~んと車を走らせていたら、対向車線に動く黒い物体が!
あれはカメじゃないか!?ということで、車を思わずわきに寄せて停車。
後ろを走っていた友人のことも止めて、おもむろにカメを抱え「カメいた」と見せに行く私。小さいカメを飼い始めたお友達はオスのカメを探しているらしく「いる?」と声をかけてみる。
でも、そのカメはすでにだいぶ大きくて。明らかにお友達のカメちゃんとは違う年齢層…。うちの子が飼うかなぁ、お友達が欲しがるかなぁ、どうするかなぁと迷っていたら、とりあえず預かってくれるというので、友人の車にカメを乗せて帰宅。
子どもたちの下校を待ち、誰が飼うのか、逃がすのか、友人の子と、息子たちと、子ども同士で相談して、結果うちの子たちが飼うことになりました。
本当は…、飼うなら小さいカメから飼いたいし、そもそも生き物を飼うことにためらいがないわけじゃないし、え、本当に飼うの!?っていう気持ちがないわけじゃないし。
明らかに大きいカメなんで、たぶん息子たちもそこまで「飼う飼う!」っていうテンションになってない気がするし…。本当にこの子を飼うん?中途半端なことするくらいなら、元居たところに返してあげたほうがいいんじゃない?
てか、そもそもなんで私はカメを拾ってしまったんだ!?普段なら絶対自分から触ることなんてないのに…。
と、いろいろ葛藤を抱えながらも、息子が「飼う!」と決め、なけなしのお小遣いをカメのごはんにすべて使うという気合の入れようだったので、おうちでお迎えすることにしたのでした。
そして、引き寄せすぎたカメ
まぁ、ここまでは、ただカメを道路で拾った。という話なのですが…。
押入れの衣装ケースをひとつ空にして、カメの家を作り、一晩たって、カメに挨拶して登校した息子。下校して真っ先にカメを見に行くと…
「母さん!カメがいない!!!」
えーーーー。。。
いろんな葛藤をかかえつつ飼うことにし、衣装ケースをひとつ放棄し、持ち合わせていたお小遣いをはたいて大袋のエサを買ったのに。
逃げられたのか!???
やっぱりご縁がなかったんかな…
葛藤があったということは、きっとカメは自由を求めて旅立ったんだな…
そう自分に言い聞かせていましたが、子どもたちはそれで納得するはずがなく。
「母さんも探して!!!」とせがまれまして。
庭をあちこち見て回ることに。
夏の間に伸びたい放題伸びた雑草をかき分けるのは、私にとっては結構恐怖でして(虫とか虫とかトカゲとかヘビとか)。
カメちゃん、見つかってほしいけど、探すのかぁ、そうかぁ、探すのかぁ…と。
私がカメだったらどうするだろう。
やっぱ水辺に帰りたいよね。
うちからちょっと歩くと大きな川があるし、水の音が聞こえるし、水の匂いもするし。
こっちのほうに歩いていくかなぁ…と、川の音が聞こえるほうになんとなく歩き始めたんですね。
そうしたら、なんと!
カメがいるじゃないですか!土とアスファルトの隙間にうずくまってじっとしている!!!
「カメ、いたよ~~~~!!!」
と叫ぶと、走ってきた子どもたち。
「母さんすごい!よくみつけたね!」
「カメだからね、水のほうに行くかなと思って」
「すごいすごい!」
そんなテンションアゲアゲの息子たちを微笑みながら眺めつつ、息子の手に収まったカメをみる。
「…ねぇ、このカメ、なんか小さくない???」
「え?」
「昨日のカメ、もっと大きかった気がするんだけど?」
「ほんとだ!甲羅も反ってる!違うカメだ!!!」
「えーーーーー。そんなことある?2日続けて、迷いガメ拾うことある???」
うーん、でも確信はもてない。
確かに昨日のカメより二回りくらい小さい気がするけど、でもそんなことある?そこらへんにこのサイズのカメ、ぽこぽこ落ちてる?
ってか、ここに住んで丸2年、庭でカメに出会ったことなんて1回もないんだけど???
そして、庭の向こうから響く息子の声。
「かぁさーーーん!カメいた!!!」
「えぇぇぇぇぇ」
逃げ出した衣装ケースの目の前に草むらに、隠れていた昨日のカメ公。
こうして、強すぎる引き寄せにより、我が家にカメが2匹、新しい家族として迎えられることになったのでした。
人生は、思った通りにしかならない
思った通りにならないことがたくさんあるけれど、結果的に思った通りにしかならないと、私は思う。
それが意識的なことなのか、潜在的なことなのか、声に出したことなのか、心に思ったことなのか。区別をすることは難しいかもしれないけれど。
願ったことは願った通りになると思うし、声に出したことは、だいたいそうなっていくと思う。
すぐにそうなることもあれば、数年後にそうなっていることもある。
今回のカメは、すぐに現実になりすぎたけど(笑)
自分で教室を経営することも、○○円以上の月収を得ることも。
思い返せば「こうなったらいいな」と思ったことが、現実になっている。
願ったことが現実にならない人は、心の奥底で「どうせ思った通りにはならない」と思っていて、その現実を引き寄せていると私は思う。
だから、能天気に夢を思い描きながら生きていくくらいがちょうどいい。
もっぱら私の最近の思いは、いつ山を下りるか。
いろんな言い訳を並べながら、もう心の中は決まっている、たぶん。それに向き合わないようにして、ぐだぐだと日々、どうしようどうしようと悩んでいるふりをしています。
きっとそのうち、自分の意志とは関係のないところで、あるべき状況が引き寄せられることでしょう。それが答えだ。
先に出会ったカメ(右)が、次の日に出会ったカメを引き寄せたんか。その逆か。いずれにしろ、なかよくやってます。
生き物を飼うって、今しか出来ないから。子ども時代ってすごく短いから。やってみたいことはやってみたらいいと、そう思う今日この頃。
大人もね。
みんなとおしゃべり