こんな風に喩えたら、もしかしたら誰かの深い傷をえぐってしまうかもしれませんが…
今だけ、書きます。後で消します。
私は宮城県で生まれ育ちました。
あの大きな地震があった日の少し前まで、0歳の長男と一緒に帰省していました。実家は平野部だから津波に襲われることはなかったけれど、石巻にはよく買い物や食事に出掛けていました。
テレビであの光景を見た時。あと数日ずれていたら、私はあの場所にいたんだと思うと。
本当に言葉にならない思いで苦しかったです。今思い出しても苦しいです。
自分の家族や親戚や古い友人たちが、どうしているのか、川口にいた私には知る術はありませんでした。テレビはつけることすら出来ませんでした。
あの時、1万4000人を超える人たちが、津波で亡くなりました。
まだ大丈夫だろう
ここまでは来ないだろう
みんなと一緒にいた方が安心だ…
そう思っていた人が、きっとたくさんいたはずです。
その瞬間に最善の道を判断し行動することは、もしかしたら出来ないかもしれない。
いろんな立場や状況があって、判断を迷うかもしれない。
でも。
私は、自分の子どもたちを連れて、出来るだけ出来るだけ高い所へ逃げる。逃げたいです。
後から「なんであいつあんなとこまで逃げてるの?」って笑われたとしても、いいです。
「なんで自分たちだけ逃げたの?」って言われてもいいです。
まずは家族を守らなければ。
コロナは。
自分と自分の家族という、最小限の守るべき人のことだけを考えたら、病気そのものを恐れてはいません。子どもたちにも、絶対大丈夫、と話して聞かせています。
でも、今は、そういう個人的思考だけじゃなくて、社会的視野でも考えないといけない時。そういう余裕がまだあるのです。
一人ひとりが守るべき人を守るという思考になれば、今すべきことはわかるはず。一人ひとりの行動で、この先の社会が変わることは明らかです。
入学式、始業式、登校日。ちょっとなら大丈夫って思っていませんか?
まだ大丈夫、ここまでは来ないだろうと思っていませんか?
大きな波にのまれてから、やっぱり行かなきゃよかったって思うのは、私は絶対に嫌だから。私は子どもたちと家にいます。やっと決まった保育園も、入園式から欠席しています。
少しでも早く、いつも通りの生活に戻したいし。
傷つく人が一人でも少なく済むようにしたい。
自分の家族を守るために家にいるのは当たり前なんだけど。その行動が他の誰かを助けることになるのなら、家にいる以外の選択肢は、私にはない。
最低限の安全を確保したら、あとは、その場で出来るだけ普段通りに過ごす。←ここ、ポイントね!普段通りに。
無理に楽しくする必要はないし、無理に特別なことをする必要はない。
たかだか数か月勉強しなくたって、たいしたことありません。みなさん、子どもの時そんなに熱心に勉強してました?取り戻せないほどの勉強を数か月間でしてましたかね?
いつも通り。
それが一番、心を守ると思う。
いつも通り怒って、いつも通り笑って。辛いことは辛いといえばいいし、嫌なことはやめればいい。それでいいじゃないですか。
死ぬほどつらいことがあったとしても、生きていれば、どうにでもなります。
何度か死にかけた私が言うんだから間違いない。うん。
では。
次からいつも通りのブログに戻ります~!
逃げることなく、社会のために働いてくださっているすべての人に、感謝して。いつも通り過ごせることに有り難うを。
みんなとおしゃべり