数日前からトイレの流れが悪くってですね。
夫と「なんか変だね」と話していたのです。
そうしたら、昨晩の寝る間際、長男と次男の様子がなんだかおかしい。「オレ知らない。でも怒らない?」という発言が「僕らがやりました」と語っています…。
成り行きはよくわからないけれど、割り箸を流したんですって😓 アホか。もーーー。
原因がわかったので、朝から大仕事です。夫と息子たち。トイレでギャーギャーいいながら、何やらしております。
そのタイミングでサブローが!!!まさか、この顔は、ウンチじゃないですか?坊ちゃん!!!
私は皿洗いをしておりまして。
男たちは便器と格闘しておりまして。
サブローは…、立ったままいきんでおります。
結果、仕方ないから今日はおむつでさせました。しょうがない、しょうがないよ…。
という、私にとっては非常に貴重な経験をしたのです。
我が子がウンチだとわかっているのに、おむつにあえてさせるという選択。
これは、本当に私にとって貴重で。3人目の子育てにして、初めてに等しいくらいの経験かもしれません。
今日の記事は、もしかしたら、心がざわついたり、モヤモヤしたり、ムカっとする人がいるかもしれませんが、あくまで私の感想文として読んでくださいね♡
私は、○○派、というのに属するのが何よりも嫌いだし、自分と違う考えの人にどうこう言う事ほど無駄な時間はないと思っているので。誰かを否定するという気持ちは皆無です。
今の日本のお母さんたちの多くは、お子さんがおむつにウンチするとき、どんな気持ちでその姿をみているのかな?
これ、素朴な疑問です。
私は、ですが。
まず、「うんちの片付けヤダな」って思います。「おしりふくの面倒くさいな」って思います。「ゴミ臭くなるなぁ」とも思うし、「おむつ替え面倒くさいなぁ」とも思います。
今日、サブローが立ったままいきんでいる姿を見て、為す術がなくて、もうほんっと「早く終わって~」と思って見てましたし、出たかな?と思ったあとは「お願いだから座らないで~!」と思いました。
サブローが動き出したら、慌てて抱えておむつを外して、おしりふきでおしりを拭きながら「こんな寒い冬に冷たい紙で拭いてごめんね💦」と思いました。「自分がこれでおしりふかれたら、冷たいよなぁ。。。」と思いました。
はずしたおむつにサブローが手を伸ばしそうになると、「ギャー!触るな~!」と思ったし、汚れたおしりふきを持ち直す時に「あぁ、手に付きそう。」「ぎゃ、床につく~」と思いました。
サブローはおむつ替えの時、大人しくじっとしていますが、動き回る赤ちゃんだったら、さぞかしお母さんは大変だろうなぁと思いました。
着替えが終わって、おむつを捨てる時、「やっぱり臭うのかな、コレは…」と疑問に思いました。
どうですか?
みなさんもこんな感じのこと、思いますか??
その数時間後、おむつでは出しきれていなかったみたいで、サブロー、再度いきみ始めました。
その時「やっぱりおむつだと出しきれないんだな」「1日に何回もウンチするっていう赤ちゃんは、1回で出しきれてないから、もしかしてずっとおなかがもぞもぞしてるんじゃないかな?(もちろん個人差あり)」とも思いました。
サブロー、いつもは1日1回の排便で済みます。本日2回目のうんちタイムの頃には、便器が直っていたので、いつもの通り補助便座でいたすことが出来ました。
その時私が思ったのは「やっぱりトイレで済ませれば、ラクチンだーーーー♡」ということ。
子どもがいきんでいる間、その後のおむつ替えのことを考えて、ため息をつく必要がない!おしりをおしりふきで拭く必要がない!おなかスッキリで機嫌もいい!
やっぱりね。リビングとか、台所とか、普通の生活部屋でウンチするのって、すごく違和感があるのです。トイレでしようよ、と上の子どもたちにだったら絶対言う。それと同じように、赤ちゃんでも、私は自分の子に、トイレでしようよ♡と言いたくなってしまう。
私がしているのは、ただの“習慣づけ”のひとつにすぎない。
人に会ったらあいさつしようね。
何かしてもらったら、ありがとうって言おうね。
よくないことしちゃったら、ごめんねって言おうね。
うんちはトイレでしようね。
みたいな(笑)
おむつなし育児を勧めている人の意見も、アンチさんの意見も、私にとってはどちらも“私とは違うなぁ”って思う。
親子のコミュニケーションを濃密にするために、挨拶を教えるわけじゃないじゃないですか。
排泄のことを取り出して、コミュニケーションに結び付けて語ってしまうから、アンチさんがつっこんでくるんじゃないですかねぇ?
トイレで排泄させることを、特別とも思わないし、素晴らしいとも思わない。自然とも不自然とも私は思わないのです。
汚れた紙おむつをつけっぱなしにするのは気持ち悪いだろうな、とは思いますが、だからといって、トイレで排泄するのがキモチイイ!とも思わないです。
え、みんなそうじゃないですか?いちいちトイレで排泄してキモチイイ!とか思わないですよね?😅 だからトイレで排泄させることに関して気持ち良さを謳うのはすごい違和感あるんですよ、私はね。(もちろん気持ちいいからトイレでさせよう、って言ってる訳じゃないのはわかりますよ。でもそう見えちゃうんですよね、文章が。表現って難しいねー。)
自分だったら、濡れた紙おむつ=保冷剤みたいな状態を、おまたに当ててるのは気持ち悪いなって思うから、濡れたらすぐ替えてあげたいと思うし。あてがわれた布に出して、汚れずにすむ皮膚まで汚れたら気持ち悪いなって思うから、トイレでさせてあげたいと思う。
なんていうか…
親として当たり前のしつけ?当たり前の習慣づけ?
食事の時は箸を使うんだよ。と伝えていくのと同じように。
うんちやおしっこは、トイレでするんだよ。と伝えているだけ。
いきなり箸は使えないからスプーンを使うように、
トイレじゃなくておまるを使うだけ。
いきなり一人でスプーンは持てないから食べさせてあげるように、
両手で抱えておしっこさせてあげているだけ。
あ、食事と排泄一緒にするなって??(笑)
でも、それくらい当たり前のことだと思うんです。
人間、食べたら出さないと生きていけないでしょ???
大人でも、尿意をこらえて眠ることは出来ないじゃないですか。
子どもだってそうなんですよね。
おなかがモニョモニョしてたら、なんか眠れなくて、それを表現出来なくて泣いちゃう=夜泣きのきっかけ…ということ、あると思う。
そこに医学的・科学的根拠とか説明とか、要る??
私にとっては「自分がそうだったら眠れないなぁ、そりゃ子どもだってそうだよね」で終わりの話。当たり前の話なのです。
…っていう、思考回路がですね。
長男次男のいたずらによって、今日一日、私の脳内を駆け巡りました。
紙おむつにウンチをさせる、という経験がなかったら、こんな風に考えることはなかったかもしれない。こういう風に、排泄の習慣づけを喩えることがなかったかもしれない。
いたずらは本気でため息ものだったけれど。
まぁ、いろいろ考えるきっかけにもなったので、ヨシとしましょう。
ちなみに、割り箸はですね。
完全防護した状態で、長男が腕を突っこみ、取り出しました。取り出させました。家電を壊すとはどういうことなのか、体で覚えさせました。
心から反省した顔をしていたので、これもまたヨシとしましょう。
もし、今日のこの記事を読んで、モヤっとすることがあったら。
そのモヤっとの原因は何なのか、ちょっと考えてみませんか?
これを読んだことで、スッキリしてくれる人もいるかな?
どちらにしろ、世の中のトイレトレーニングが“正しい方法とは限らない”ということだけは、ちょっと頭の片隅にでも残ってくれたら嬉しいです。
0歳からトイレでさせることは、なんにも特別なことじゃないです。世の中の多数派が紙おむつを使っていて、多数派が2、3歳でトイレトレーニングをする、というだけ。私みたいなのが少数派、というだけです。
正しいとか、どっちがいいとか、悪いとか、ダメとか、そういうことじゃなくて。
何を選ぶかは、自分で決めるのが大事、ってこと。自分の選択に自信持って、子どもと過ごしてほしい。
こんな私の思考にピンと来た人は、ほんと↓コレ読んでください。いろいろピンピンくるから(笑)