たまに見聞きするんです。
「読み聞かせしても意味がない」
というお母さんたちの言葉。
今日は、「本当に読み聞かせしても意味がないのか」について、私の考えを綴ってみますね。
通りすがりのブログなどで見かける「読み聞かせしたけど意味がなかった」と語っている人たちの考えをまとめると、つまり「読み聞かせしたけど、国語の成績は悪い」ってことだと思うんです。
読み聞かせ=国語が出来るようになる、という発想で読み聞かせを頑張った人たちが、お子さんの国語の成績が思ったような形にならなくて、「意味がなかった」とおっしゃってるのかと。
読み聞かせ=親子のコミュニケーション、という発想の人たちは、読んでいる時間そのものに価値があるから、意味がない・意味がなかった、とは言わないですよね。
読み聞かせを頑張って、かつ、お子さんの国語の成績もよい場合も、読み聞かせに意味がないとは言わないと思います。
ということは…
国語の成績につながるような読み聞かせは、意味がある!ということになるのかと。
※親子のコミュニケーションタイムにのみ価値を置いている人は除く
私自身は、読み聞かせに意味がないとは思いません。仮に国語の成績に繋がらなかったとしても、幼少期に親に本を読んでもらう時間は、子どもの心の土台作りに、きっとプラスに働いているはずです。
だから、お子さんの国語の成績に繋がらなかったとしても、「意味がない」なんて言わないでほしい。成績ではない、何かが絶対育まれていますから♡
一方で、私は、国語の成績…というか、読解力に繋がらない読み聞かせはもったいない!と思います。
せっかく時間と労力をかけて過ごした時間が、ただふわ~っと過ぎてしまうのは、もったいない。
読み聞かせしても意味がない、という意見の一側面には、私、賛成なんですよ。
ただ字面を読んで聞かせることを“読み聞かせ”というならば、確かにそこに意味=結果を見出すのは難しいかもしれません。
読んで読みっぱなしでは、意味がゼロではないけれど、価値のある意味にはつながりにくい。読み聞かせしても意味がないのも、当然といえば当然なんです。意味のある読み聞かせ方をしてないからです。
※ここでいう“意味”とは、親が思うような読み聞かせの結果(多くの人にとっては国語の成績)のことです
文を読んで内容を理解する力、自分の考えを文章にする力、というのは、単に学生時代の国語の成績だけではなく、もっともっと長い目で見て、その人の人生に影響します。
他者の考えを読み、理解し、自分の考えを表現し、伝える、という行為は、日常でも仕事でも人間関係を築くうえで非常に大事なことです。
年齢的には立派な大人であっても、文を読んで理解できない人、自分の考えを文章にまとめられない人は、たーーーっくさんいます。
読み聞かせがすべてではありませんが、もしかしたら、伝えることが苦手な人は、幼少期に本を読む機会が少なかったのかもしれません。本はたくさん読んでも、その本について深く考え、そこから自分の考えを発展させる読み方を、あまりしてこなかったのかもしれません。読んで読みっぱなしにした数が、考える数よりも多かったのかもしれません。
…それってもったいないです。はい、もったいない!
子どもが本を好きになるかどうかは、幼少期の親とのかかわり方が大きく影響すると思います。
もちろん、生まれ持った個性はあると思いますが、人間関係の基礎の基礎である親との関係で、ある種のベースが築かれる側面はあると思います。
100%ではないけれど、親がどんな読み聞かせ方をするかで、お子さんの読解力は大きく変わります。
今、子どものためにとたくさん本を読んであげているのに、数年後、国語の成績が悪かったからといって「あの時の読み聞かせは意味がなかった」なんて悲しいこと、思ってほしくないので。
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