ちょっと過激なタイトルですが(笑)
嫌いなもんは嫌いだからしょうがない、こんにちは、渡邊です。
私のことを自然派という人が少なくないですが、私は自然派といわれるのが嫌いです。
自然派を目の敵の様にして、論破しようとする人もネット界隈ではよく見かけますが、そういう人たちのことを“不自然派”と私は呼んでいます。心の中で。
あと、私の投稿や発言をみて、「私には無理」とか「(嫌味で)いくみさんストイックですね」とかいう人のことも、私は心の中で“不自然派”と呼んでいます。
“不自然派”ってくくられたら、モヤっとしませんか???ちょっとイラっとしませんか???勝手にくくるなよって思いません?
自然派とくくられたときに、私はそれと同じようにモヤッとするし、イラっともします。相手にしてもしょうがないから秒でスルー出来ますが。
私はあえて自分を何かの派閥に属させるとするならば“脱不自然派”ですね。
あるいは、“脱無駄派”。
とにかく、悪いものや不自然なものから脱するところを目指す派閥です。脱し切れていないところがポイント。
自然派を攻撃してくる人は好きじゃないですが、自称自然派の人も同じように好きじゃないんです。
自然派を自分で言っちゃう人って、変わってる人が多くないですか?←私が言うな?(笑)
私もだいぶ変わっている(日本社会では少数派)ということは自覚していますが、そういう私とはまた違った方向で変わっている人が多いのが自然派です。
あんまり現実的じゃないんですよね、自称自然派。そして行動が矛盾している人が少なくない。
自然栽培でお野菜育てている人が、アルコール消毒したり、香料がぶっとんでる柔軟剤使ったり、マスク社会を受け入れたり…
私にはちょっと理解に苦しむ。どこら辺が“自然”なんだろうと。
あと、また別の系統で、自然派農業している人とか自然派雑貨売っている人たちは、魂が私とは違うところにつながっているのを感じる。
そういうの嫌いではないけれど、世界が違うなと思う。
不自然派の人の多くは、多分、不自然であることに気づいていないだけの人が多い。
きっかけさえあれば、割と“脱不自然派”になれると思う。
いくみん教の教徒さんたちは、まさに“脱不自然派”で、社会とのバランスをとることが上手な人が多い。
※私は社会とのバランスが取れません…チーン。いいんだ、それで。
人の目を気にしてマスクしてる人、みんな打ってるからワクチン打ってる人が多いんでしょ?日本人。
私はどちらも受け入れる気は最初からなかったけれど。
「いくみさんは自分で仕事してるからですよ」とか「いくみさんみたいにみんな強くないですよ」とか言われる。仕事を失ったら生きていけないって。
じゃぁ、私が公務員だったら?もっというなら学校の先生だったら?どうしただろう???
っていうのは、3年前からずっとことあるごとに考えていました。
まず、意味不明なルールに従うことは出来ないでしょ。だって人の健康と尊厳を守るという視点から見て、マスクの強制もワクチンも破綻してますからね。
で、それを上司に訴えるでしょ。で、否定されるでしょ。ちょっと戦ってみるでしょ。戦うことが無駄とわかるでしょ。
心身ともに疲弊して、本来の仕事に差し支えるでしょ。でも子どもたちを守らなくちゃって思うでしょ。保護者からクレーム来るでしょ。また上司に怒られるでしょ。
吐き気と胃痛と闘いながら、なんとか理解を求めようとするでしょ。
でも、状況は全然変わらない。そして、絶望して・・・・
公務員やめて、個人事業主になって、好きに発言して、必要な人に必要な情報を提供する。
何度考えても、どんな職業で考えても、落ち着くところは同じ。
自分で仕事を作って、自分で発信して、信者を増やす←え?w
不平不満を抱えながら、自分の信念を捻じ曲げてその場にいるなんて、私には無理。体が生きてても心が殺されてる。そんなの嫌だ。
そもそも、そういう一般社会で生きていくのがしんどくて、個人事業主になっているから。私みたいな思考回路の人が集まってる会社でもない限り、人と一緒に仕事するの無理(笑)集団行動が本当に出来ないの。子どものころから。
…話を元に戻します。
私は世間が作った自然派になる気は一切ない。納得がいかない社会に巻かれることもない。
誰のことも信じないし、どこかに属することは死んでもない。
そういう“脱不自然派”の人たちが、今は私の周りにちょこちょこいてくれるから。
こういう好き勝手なことを書くことも出来ています。
みなさん
どうもありがとう。(右京さん風に)
みんなとおしゃべり