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雨の夕方、苗を植える

私が買った家には、おまけで大きめの小屋と庭がついていた。

不動産会社の写真でみたイメージより、3倍くらい土地は広く、妄想が広がった。

小屋はリフォームして、サロンにしよう。脱無駄派のママたちが気軽に集まって、美味しいものを食べながら愉快な話ができるところ。

あ。山の上すぎて、気軽には集まれないか。

庭は畑と小さい公園みたいにしたい。サロンで日向ぼっこしながら、子どもたちを見守りつつ、大人たちは脱無駄な無駄話を堪能するの。

やばい、妄想が止まらない。

家を買うかどうか一瞬だけ迷ったけれど、結局はこの妄想に取りつかれて買ってしまった。

それが2022年9月のこと。

 

庭はピシッと綺麗に、ブラックシートに覆われていて、雑草一つ生えていなかった。

庭は畑にして、半分は公園にして…そんな妄想に取りつかれていた私だったけれど、いざ広々としたブラックシートを前にしたら、これを外して草ぼうぼうになり、虫がわんさか出る妄想にとらわれて、シートを外す気には全くならなかった。

だけど、やっぱりちょっとはやってみたい。

少しだけブラックシートを外して、大根の種をまいてみた。ネギもまいてみた。

 

10月、フットワークが異常に軽い両親が宮城からやってきて、せっせと庭造りを始めた。

庭にはとても立派な金木犀があったが、枝が伸び放題、何かの蔓が絡み放題で、木なのにぼうぼうだった。両親はその枝をバッサバッサと切り落とし、すっきり綺麗な庭木に仕上げた。

あちこちの雑草も整えられ、あっという間に庭はきれいになって、両親は大量の木の枝を庭に残して帰っていった。

 

今まで親と別れるときに寂しいなんて感じたことは一度もなかったけれど。なんだか両親が去った家がガランと広くて静かで、ちょっとおセンチメンタルになった。

ので。

チューリップの球根を三男と一緒に埋めた。

アジサイの木を楽天で取り寄せて、植えた。アジサイを注文したお店は、偶然にも母が生まれた佐賀の田舎町のお店だった。ちょっとまたおセンチメンタルになる。

 

大根はしばらくして芽が出たけれど、それはそれは小さく、大きくもならなかった。たまに少し間引いて食べてみたら、葉っぱが辛くて、小さいけど大根の味がした。

冬の間、また少しブラックシートをはがしてみた。春になったら畑をやりたくなるかもしれない。ブラックシートのままじゃ、土が育たたない。ちょっとだけはがしてみよう。私は耕さない、除草しない、自然農をしたい。だから、とにかく雑草に生えてもらわないと話にならない。

少しだけシートをはがしたところに、もみがらを撒いてみた。意味ないかもしれないけれど、気分の問題。何日かしてから、パクチーの種を蒔いた。

 

冬に、また異常にフットワークの軽い両親が来た。ブラックシートをはがしていた部分に、畝を作られた。

え、そこにパクチーの種、まいてたんですけど…まぁ、うんともすんともいってなかったからいいけどさ…。

両親はまた庭を整え、兵庫に行き和歌山に行き大阪に行って三重に戻ってから、宮城に帰っていった。前回もそう。三重を拠点にして、兵庫の叔母や大阪の友人のところに遊びに泊まりに出歩いている。元気。うん。元気すぎ。

 

私は日々パソコンに向かう生活。

私の生きる世界は主に画面の向こう側にある。

夫と次男がいなくても、家族全員そろっていなくても、そんなに寂しくないのは、画面の向こう側の世界が広いからだと思う。

友達は少ないけど、知り合いは多い。友達は少ないけど、仕事で出会う人は多い。友達は少ないけど、でも、昔よりは遊んでくれる人が増えたと思う。

向こうがどう思っているかはわからないけど、少なくとも、会いたいと思う人が増えた。私の中で。過去には、誰かに会いたいなんて思ったことがなかった。それが一番大きな変化だと思う。有り難い。

 

2月の終わりごろ、チューリップの芽の先っちょが、ちょこんと出ていた。早すぎじゃないか?大丈夫か??と心配になったけど、特に出来ることもないので放っておいた。

大根は、なぜか三男が撒いた種だけ、葉っぱがよく成長していた。

土のせいか、愛情のせいか…。

わからんけど、たぶん、種を巻いたときの「氣」が違うんじゃないかと思う。ただ物理的に種を土に入れる私と、大きくなあれと種をまく子ども。種が受け取るものが違うのかもな。なんて思ったりする。

 

3月。長男が小学校を卒業。

本当だったらこのタイミングで埼玉に帰るはずだった。

でも、家を買っちゃったし、中学も三重で過ごす。いや、逆か。中学もここがいいというから、家を買ったんだっけ?もうどっちでもいいや。

戻った時に自分がどんな感情になるのか知るのが怖くて、9か月間一度も川口には戻らなかった。戻れなかった。

でも、庭を造り始めた辺りから、ちょっと覚悟が定まってきて、春休みは川口に帰省することにした。

 

川口は狭くて、人も多くて、息苦しくて、しんど。と思ったけど、1日で慣れた。2~3日経ったら、もうそこでの生活が当たり前になって、川口でも生きていけるかもと思った。

でも、9か月前、3日で戻るつもりでそのままになっていた部屋を片付け、使わないものを出来るだけ捨てて、部屋はこざっぱりさせた。この家にあるものは、9か月なくても困らなかったものばかり。全部燃えてなくなっても、私は生きていける。

終活だな。と思いながら、バシバシものを捨てていった。自分は物欲がなくて物が少ない方だと思っていたけれど、それでも「なんでこんなもん買ったんだ?」みたいなものが山ほどあった。これらを買わなかったら、いくら手元に残っていたのだろう。

 

両親から乗らなくなった車を法外な金額で買い取った。乗らないなら娘にくれてもいいじゃん、と思いつつも、父の古希のお祝い(金)もかねて、法外な値段で買い取ってあげた。
※私の心理的な問題。実際は定価の3分の1強。

その車を宮城にとりにいった。

私のフットワークもちょっと軽め?親ほどじゃないけど。急に山に移住した人が言うなって声が聞こえるような気もするが。

両親も一緒に宮城から車で埼玉きて、みんなで三重に帰ってきた。

三重に戻ったら、チューリップが満開になっていて。大根の葉っぱもびっくりするくらい伸びて、花をつけていた。

しばらく街におりている間に、山は春になっていた。

両親はまたせっせと庭造りを始めた。埋まっていた石を掘り起こし、並べ替え、庭のレイアウトをすっかり変えてしまった。この人たち、なんでこんなに人の庭をいじるのが好きなんだろうと心底思う。

私がおセンチメンタルに植えたアジサイは、「こんなとこじゃ狭い」と、あっさり別の場所に植え替えられた。

庭造りの合間に、両親は兵庫に行き九州に行き、また三重に戻ってきた。結局3週間以上宮城を留守にしていたんじゃないかと思う。

母が生まれ育った街を二人で見て回ったらしい。小学校とか。

「見納めだね」って言ったらそうだそうだと笑っていたけど、元気にあと1回くらいはいけるよきっと。いや、行く気になったら多分明日でも行ける、あの人たち。

 

私は絶対に一人では野菜を植えようとは思わないので、両親に苗を植えるところまでやってもらった。どんだけ甘えん坊の娘なんだ、と人は思うかもしれない。若いころはめちゃくちゃ迷惑かけたからね。これくらいしないといけない気がしている。

遠く離れたところに住み、ぎりぎりまで親のすねをかじっていた私に今出来ることは、お金を多めに還すことと脱無駄派の啓蒙くらいだ。(いや、この人たち無駄遣いしなけりゃ十分なお金あるはずなんだけども…)

脱無駄派の啓蒙といえば、三重に来るようになって両親の意識がすごく変わった。

前は脱無駄派について理解は示すけれど、全然理解していなかった。

三重に来て、変な食べ物食べたら皮膚や感情にモロに出てくる三男を目の当たりにし、顔色がおかしくなる長男を知り、わずかでも化学物質があると咳が止まらなくなる私を見て、ようやく実感してくれたらしい。

ボケられたら嫌なので、うざい娘だと思われても、啓蒙活動はやめない。ボケる原因も病気になる原因も、もうだいたいわかっていることなんだから。現代病。無駄なものの取りすぎが原因。避けようと思えば避けられること。

 

畑の話に戻そう。

私は雑草と共に野菜を育てていく自然農をしたいのだが、両親はホームセンターで土を買い、道具を買い、苗を買ってきて、植えた。

ものすごい手際よく“家庭菜園”が出来上がった。

…いい、いいんだ。私ひとりじゃ始められないから。どうせまだ雑草は生えていないし、うまく育つかもわからんし、何もしないより何かした方がいいんだから。やり始めてくれた両親に、感謝しかない。嘘、いや、まだ啓蒙が足りなかったか。やっと化学物質過敏症を実感し始めた両親に、自然農の道は遥かまだずっと向こう。

トマト1本、きゅうり2本、ピーマン1本、ナス2本を植えて、両親は帰っていた。

 

ここまでが前置き。ここから、今日書きたかったことが始まる。

 

両親が帰った後、自然農に未練たらたらの私は、両親が植えていった苗の周りに、あちこちで取った雑草を重ねた。

からからに乾いた土地に枯れかけの雑草が浮いているけど、まぁいい。自己満足の世界。

よくいく自然派のお店に、枝豆の苗が売っていた。このお店の苗なら、化学肥料や農薬使ってないんじゃないかな?という勝手な想像で、2本買って帰り、両親が作った畑じゃなくて、庭の隅のかろうじて雑草が生えている、両親がまだ手をつけていないエリアに植えた。(今度来た時にそのエリアの木を掘り起こすとか言いそうだから、今のうちに雑草エリアを守る!)

 

仕事の合間に、庭に出ることを日課にすることにした。凝り固まった体にちょうどいい。

風に吹かれて、野菜の苗を見ながらボーっとしていたら。なんて優雅な日々なんだろうと、おセンチメンタルになりかけた。

 

そうだ、ひまわりを植えよう。

うちの庭は、道路から丸見えっちゃ丸見え。通りすがりの人が、ひまわりのおうちって言っちゃうような、そんな感じで、道路からみえるところにひまわりをたくさん咲かせよう。

思い立ったらたまらず、すぐ種を買いに行った。

春はチューリップ、梅雨はアジサイ、夏はひまわり、秋はコスモス、年中マリーゴールド、冬はビオラ。一年中なにかしら咲いている庭にしよう。花には全然興味ないけど。

庭の花壇エリアに、数種類のひまわりの種をまき、その後ろの列に、コスモスの種をまいた。

 

たまに行く自然派のお店のインスタをみたら、苗の写真がたくさん出ていた。あのお店の苗なら、きっとこだわっているに違いないと、また確かめもしないで勘だけで買いに行った。山越えて、奈良越えて、あっちのほうまで。

昨日は雨。

夕方帰宅して、買ってきた苗を、雨の中土に迎えた。

オクラ5本と大葉は、雑草エリアに。オクラは根付かないかもしれないけれど、まぁいい。なるようになればいい。

ししとうと、ズッキーニは、畑エリアに。

雨の中植えるのってどうなんだろう?と思いながらも、やり始めたら止まらない。

天気予報を見たら、一晩中雨。土が流されて苗が倒れちゃってるんじゃないかと、心配で眠りが浅い。三男の寝相がすごすぎて、30分おきに起こされる。春だからか?春だから動くのか?

朝4時。結局眠れないまま、スマホをにぎった。寝るのを諦めた。

朝5時。雨はまだ降っている。傘もささずに庭に出て、しゃきんとしている苗の姿をみて、安心した。

家に入り、お湯を沸かし、パソコンを立ち上げ、お湯を飲みながら今に至る。

 

眠い日曜日が始まる。

みんなとおしゃべり

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