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私と英語の物語 その3

Facebookの方で「続き楽しみです!」のコメントをいただいたので、調子に乗って続きをかきます♡

あ、私、ブログはコメント欄開いてないですが、Facebookは割とコメントのやりとりしています。もし絡んでくださる方がいたら、ぜひFacebookページにポチッとしてください♡

というか、コメント欄公開すればいいのか!ちょっと試しに開いてみます~😃

さて、続きのお話です。

≫ その1はこちら
≫ その2はこちら

まずは、大学入試の話から…。

特に何をしたいとか、何になりたいとか、なんにもない、ただの高校生だった私は、“進学校だから進学する”という非常に弱い動機しか持っておらず。

しかし、両親は「明確な進学の理由」を求めてくる訳で…。

なりたいなんて1ミリも思ってなかったのですが、「英語教員になりたいから進学させてください」とお願いして進学しました。

なんで英語なのかというと、科目の中では一番出来る方だったから?

科目、なんでもよかったんですが、選ぶなら英語かなぁ。くらいの感じでした。

ちなみに、教員になりたいから、というのも、自分の意思ではなくて、”親に言わされた”と思ってます😅 それ以外の職業、何を言っても全否定だったのに、教員っていったら、あっさりOKでしたからね…。

↑こんな不純な動機なので、英文科には絶対行きたくありませんでした。だって、英語好きで英語出来る人ばっかりいるんでしょ??無理無理無理!!!

当時、日本に1か所だけ、英文科じゃないのに英語の教員免許がとれる学部があったのです(今はもうないです笑)。

「英語教員になるために、英語しか学べないのはつまらない。英語以外の視野も広げて、英語を教えたい!」なんて、もっともらしい理由をつけて、その大学に行きました。文学、心理学、社会学、文化人類学、言語学、芸術学…そういうものを広く学びながら英語の免許が取れるというのは、実際すごく魅力的だったからです。当時からかなりの雑食でした。

学びたい分野をひとつに絞れなかった、という事実もあります😅

でも、もうね、家を出られるならどこでもよかったのです…。

 

 

薄々気づいている方もいるかもしれませんが、私と親の折り合いは非常に悪くてですね(苦笑)

30歳近くなるまで、まともに会話も出来ませんでした。怖くて(笑)
※今は仲いいです、念のためフォロー😋

どんなに成績が良くても、なにかしらの賞をもらっても、褒めてもらえることはなく。いっつも怒られて、いっつもダメだしされて。どうせ私は何をやってもダメ人間、クズだと思って育ってきたので、家を出てからの私は…

もう、羽を上下左右に伸ばしまくり広げまくりましたよね!

それまで暗くなってから家の外に出たことがなかったので、”夜”というだけでテンションがあがりました(笑)夜道を歩いていることが楽しくて楽しくて♪街灯が煌めいて見えました。

 

…まぁ、そして、またあるある?なのですが、授業はさぼりまくる、単位落としまくる。

教員免許を取得するためには、通常の進級に必要な単位にプラスして、教員免許用の単位もとらないといけないから、普通の学生の倍は授業をとらないといけないのに。

 

あっという間にドロップアウト。

まー、いっか。とやさぐれていたときに、親からまた「アメリカ留学しないか?」の連絡が入りまして。

私は中高と、どちらかというとイギリス英語を学んできたので、「アメリカなんかいかなーい」と思っていたんですね。(若気の至りと思って、読んでくださいね…。態度が悪かったのは重々承知しています😅)

でも、イギリス留学は単身で行かないといけなくて。

アメリカ留学は、集団留学だったので…。ビビリな私はアメリカ留学を選んだのです。

 

しかもね。

これ、たまにHIMAWARIのママたちにも聞かれて話したことがありますが。

留学の理由が、「彼氏にかまってもらえなかったから」なんですよ😩 相手の気を引こうと「留学しようかな」って言ったら「すれば?(どうせ試験で落ちるでしょ)」と言われたことが悔しくて。

「あー、そうですか、んじゃ、いってきますわ!」

みたいな感じで留学を決めて、試験も受けて、奨学金もちょびっともらって。

それで行ったんです。

 

本気で英語の勉強をしたい、留学をしたい!でも金銭面で泣く泣く諦めた…試験に受からなかった…そういう友人たちが身近にいたから、大きな声では言えませんでしたが。

動機は不純でした。ハイ。

 

でも、今までと違っていたことがひとつありました。

「行くからには、私にしか出来ないことを成し遂げる」

そう決めていました。

 

日本人が集団で留学するので、留学先がどういう状況になるのかは想像がつきました。

日本人とつるんでいたら、得るものは何もない。イギリス語学研修の時にそれで失敗してますしね。同じ失敗を繰り返すわけにはいきません。

 

アメリカに着いて、私が最初にしたことは、The Associated Studentsのメンバーに立候補すること。日本でいうところの生徒会みたいなものですね。

顧問のところに「一番大変な仕事は何ですか?私それやります。」と初日に言いに行きました。

そしたら”生徒会長”…ではなくて、”文化祭実行委員長”が一番大変だ、というので。そこに立候補して、演説して、当選しました(対立候補はゼロです笑)。

 

私は、その文化祭の歴史を変えようと思いました。

それまで、その文化祭は日本人学生による内輪うけメインの文化祭だったんですよね。

それを、私たち日本人学生が、自分たちの手で、日本文化をアメリカ人に紹介するための祭りにしよう!ということで、テーマを純和風にして開催したのです。1年間の留学期間のうち、準備に7か月以上かけるくらいの、一大イベントでした。

祭りは大成功!

今はわからないけれど、その後数年間は、このマインドが後輩たちにも引き継がれ、小さな町の日本の祭りは、地元に定着し、規模が大きくなっていきました。多分。今は知らないけど(笑)

 

その他にも、いろんなイベントを企画しました。

例えば、純和風な運動会イベントにアメリカのファミリー(子どもたち)を招待したり。
※アメリカに日本的な運動会はありません、玉入れとか、むかで競争とか、障害物競争とか、綱引きとか。

ちょっと大人なハロウィーンパーティを企画したり。

夏休みは、地元の子どもたちが参加するDAY CAMPで、日本語を教える先生をしたりもしました。

市外の幼稚園や小学校に、生け花や着付け(浴衣ですが)、茶道を教えに行ったり。
※高校の時に「これから国際社会で活躍する女性は生け花や茶道などの日本文化を学ばなければならない」ということでお花やお茶の授業があったんですね。留学で役立ちました♡

現地の大学の新入生を迎えるためのオリエンテーションリーダーになったりもしました。
≫ その時の話が、こちらの記事にちょびっと出てきます。

 

勉強も誰よりも頑張りました。

日本人がとにかく多かったので、あんまり関わらないようにして。

一人、日本人とも英語でしか話さないちょっと変わった男子学生がいたのですが、その子とはよく遊んでました、元気かな?笑

卒業記念パーティの時、その男子学生が首席で表彰され。私は次席だった…と勝手に思ってます(笑)ちなみに、私がいただいたのは最も貢献した人で賞、みたいなやつでした。日本語で書くと軽いな😅 主席の人が最後に表彰されて、私が最後から2番目だったから、次席なの!と勝手に言ってます😋

 

この1年間で、私の進路は大きく変わります。

そのきっかけになった話は、こちらに詳しく書いているので、よかったら読んでみてください。

あれほど毛嫌いしていた教員の道を…、というか、“教育の道”を目指そうと誓った出来事があったのでした。

≫ 「すみません」は不要です、というお話です。

 

私が常日頃、「英語が出来るかどうかではなく、英語で何をするかが大事!」と言っているベースは、この1年間にあります。

英語の勉強をしたいから留学するという理由は、非常に弱いと私は思います。英語を極める!ならいいですけどね。ちょっと英語の勉強したいから…くらいなら、日本ででも出来ます。その2でも書いたように。

せっかく海外に行くのなら、そこで何をするかが大事です。英語は出来て当たり前の世界に行くわけですから😉

 

 

来年度の新規メンバーさん募集の時期に、こんな私の裏話ばっかり書いて大丈夫なのかな?って思うのですが…まぁ、いっか(笑)

今はいたって真面目な普通の人です♡ ←に見られることが多いです。

若い頃にやんちゃしていても…、というか、若い頃の経験を活かすも殺すも自分次第ってことですね。荒んでいた時代も、尖っていた時代も、引きこもっていた時代も…全部今に繋がっていて、すべてが糧になってますから♡

 

その4に続く

運動会イベント でのアメ食い競争。白い粉まみれの顔でダッシュ!やさぐれてはいたけれど、やるときはやる!(笑)

 

みんなとおしゃべり

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