おむつはずしにコミュニケーションっている??
今日はちょっと過去記事の紹介をします。
おむつはずし。
トイレトレーニング。
みなさん、おむつをはずすことを目的にしていませんか?
私は、それはちょっと違うと思うんです。いや…私が書いていることを読むと、「はやく取った方がいい!」と読み取れてしまうところも多いとは思うのですが、根底はそこじゃない。
おむつはずしって、親子関係の土台作りの、本当に一番最初の部分だと思うのです。
おむつはずしはコミュニケーションのひとつではあるけれど、コミュニケーションを目的にするのも変な話なんですよね。
最近のおむつはずし話は、どうもノウハウありきだったり、方向性がずれたコミュニケーション重視だったりして、おばちゃんはモヤモヤするのでございます。
以下2018年12月に書いた記事です。
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さかのぼること9年前、長男が生まれた時、「1歳のお誕生日くらいにおむつを取るにはどうしたらいいんだろう?」というところから、私のこの“趣味”は始まりました😋
私は小さい時から「あなたは1歳のお誕生日前にはおむつがとれていたのよ~」と母から聞かされていました。弟たちも1歳代にはおむつがとれていたと記憶しているし、私にとって「1歳でおむつをとる」というのは、ごくごく自然な、当たり前のこととして育ちました。
自分が子どもを産んだら、1歳でおむつを取ろう♪と子どものときから普通に思っていましたし、それ以外の選択肢は私にはなかったんですよね。
1歳でおむつが取れるのが普通~と思って、子どものころから育っているから、ホント、な~んにも違和感なしに、淡々と、やるべきことをやってきたのが、私流のおむつはずしです。
↑1歳なりたての私。たしかにこれはパンツ…ですよね??(笑)写真の色が昭和😂
どうやったら1歳でとれるの?という疑問に答えてくれたのは母です。その答えとは「生後2か月くらいからまめに庭でシーシーさせてたよ」というものでした。
たったそれだけ(笑)
「そうか、まめにさせておけばいいのか!」と、ただそれだけで納得し、そこから先は、自分でいろいろ考えたりやってみたりを繰り返していきました。
私は4月生まれで、田舎の家には庭があったからいいけれど。長男は冬生まれ、今の家には庭がない。じゃぁ、どうしようかな~と考えて、「部屋でするならおまるか」と、Amazonでおまるを購入。
他にも何かグッツとかお役立ち情報とかないかな~と、検索していた時に出会った言葉が“おむつなし育児”です。
初めてその言葉を見たときは、「え?おむつしないの???😳垂れ流しなの??」と、多くの人が思うのと同じような印象を持ちました(笑)
興味深かったので、すぐに色々検索して、図書館で借りられるだけの本を借りて、読み漁りました。
で。
私は、本はいらないな、と思ったんですよね。正直、全然共感できなかったんです(苦笑)
当時は海外のEC(排泄コミュニケーション)の本を翻訳したものがほとんどでした。文化的にも、訳し方にも、違和感が大きかったんですよね😓
赤ちゃんの様子をみたり、タイミングをはかって、おむつではない排泄すべき場所に排泄させる…という、している行為は同じだけれど、そもそもの考え方が、私とは違うなぁと思いました。
何がって?
それは、私にとって息子をトイレやおまるで排泄させることは、本当に本当にただの“当たり前の子育て”だったけれど、本に書いてあることは“新しい育児法”みたいな位置づけだったからです。
この最初に抱いた違和感は、年を追うごとに大きくなりました。
私が自分の息子たちのおむつはずし体験談を語り始めたころ、まだまだ“おむつなし育児”という言葉はマイナーで、それを知っている人は、子育てに真面目な人が多く、真面目がゆえに行き場を失っているような感じでした。
だから、私はあえて“おむつなし育児”という単語でブログ記事を書き、その単語でここを見つけて興味を持ってくれたお母さんたちに、「そんなに根を詰めなくてもいいんですよ」ということを話してきました。
でも、その空気感も、どんどん変わってきました。
おむつなし育児という言葉がメジャーになるにつれ、私が最初に抱いた違和感は、どんどん大きくなっていきました。“新しい変わった育児法”、“一部の熱心な自然派育児の人がやってること”そんなイメージは強くなり、いつの間にか、講座で勉強したから座談会を開く、という人たちも増えてきました。
その頃から、私はおむつなし育児という単語を使って、ブログ記事を書くのをやめました。世間には資格を持った人がたくさんいるようになって、私はその講座とはなんの関係もなかったので…。
それに、私がみなさんに伝えたかったことは、おむつなし育児という、方法ややり方ではなくて、赤ちゃんがおなかすいたり眠かったりするのが自然とわかるようになるのと同じように、赤ちゃんの排泄に向き合えば、排泄の感覚・間隔もわかってくるんですよ。そういう母の勘が大事よ♡ということだったからです。
だからずっと、おむつなし育児という言葉ではなくて、もっといい言葉はないだろうか?と考えてきました。
ここHIMAWARIの存在を見つけてもらわなければ、誰にも何も伝えることは出来ないから、検索対策でおむつなし育児という言葉は使っていましたが…、私が話していることはおむつなし育児のやり方ではない、とずっとモヤモヤしていました。
きっと、私のブログの長ぁ~い読者さんは、↑この私の心の変遷を、リアルタイムで見てきていると思います(笑) ちょいちょい定期的にこの話を今までも書いてきています。
いろいろ考えてきましたが、現時点での最終的に、私が行き着いたのは、やっぱり「おむつはずし」という昔からある子育てのひとつの言葉、なんですよね。
排泄を通したコミュニケーション、というのも、私はすごく違和感があります。
読み聞かせは、親子のコミュニケーションだ!というのと同じくらい違和感があります。(私の講座を各種受けてくださっている方は、きっとニヤニヤ笑うと思うのですが(笑) 私はなんでもかんでもコミュニケーションに結び付ける今風の子育て思想が嫌いです笑)
コミュニケーションは、あって当たり前なんですよ。
そこを目的にして、何が得られるの?
おむつはずしは、おむつはずしなんですよ。
子どもの排泄を自立させる、という、親としての責任のひとつなんです。
子どもが一人で生きていけるように、親は約20年かけて、子どもを自立させていきますよね。まぁ、それが出来ない親もいっぱいいますが。
おむつはずしは、そういう子どもが社会で生きていけるようにするための、本当の本当の一番最初に取り組む、自立させるべきことであって…
そこには、親の子育てへの姿勢・考え方、対応の仕方が、如実に表れていると思うのです。
みんなが3歳でトイトレするのが当たり前だから、私もそれで~♪
という感じで、“みんな”を基準に物事を考えている人は、今後も、そういう基準で物事を捉えていく可能性が高いかもしれません。
もっとはやく知りたかった!やってみたかった!
という人は、無意識のうちに、世間の大きな考えが当たり前と思っていて、自分で疑問を持ち情報を収集し選別する力が足りてないかもしれません。
やってみたけど、ダメだった…
という人は、困難にぶつかったとき、自分で打開する方法を見つけようとせず、すぐに諦めてしまう傾向があるのかもしれません。
ちょっとやってみたけれど、うちの子には合わなかった
という人は、表面的なことだけ真似てみて、上手くいかないことを子どものせいにしてしまうことが多いのかもしれません。
園が取ってくれるからいいよ
という人は、これから先、超えなければならない子どもの問題が起こるたび、外部にまかせがちになってしまうかもしれません。
たかがおむつはずし?
大人になるまでおむつをしている人はいないから、焦らなくても大丈夫??
本当にそうでしょうか?
事実は確かにそうですが、そこに対峙する親の姿勢として、それはアリですか?
物を売りたいメーカーに洗脳されてない?物を売りたい会社の情報に振り回されてない?
日本人の悪いクセ、みんなそうだから、で終わらせてない??それが本当に子どものためなのかどうかすら考えもせず…
…って、ここまでズバッと書いちゃうと、みんな逃げちゃうかもしれないけど、逃げないで~😱
いいんですよ😳
おむつはずし。今の日本ではいろんなやり方があって、いろんな考え方があって、いいと思います。
私は、自分と違うからと言って他の人や他の考え方を否定することはありません。
教室に来ているお母さんたちに、説教たれることもありません(笑)
興味がある人に聞かれれば答える、というスタンスで今まできていますし、これからもそれは変わりません。
0歳からの排泄の習慣づけは、今はもはや趣味のひとつみたいなものと思っていますから、趣味嗜好が違う人には全然響かないことも、よーく承知しております。趣味が違う人に熱く語っても、お互い得るものは特にないので、私がその方向に熱を注ぐことはありません。
そんな私が、私のおむつはずしの経験をみなさんにお伝えし始めてから8年。ずっとモヤモヤしていたことへの、ひとつの答えが出つつあるので、こうして長文をしたためました。
おむつなし育児という言葉の一人歩きは、私は非常に残念に思います。
おむつなし育児は、本来は、新しい育児法なんかじゃなくて、赤ちゃんの元々持っている排泄の機能をちゃんと維持させて、スムーズに排泄の自立を促そう、というものです。大昔から子育ての一部として当たり前にされてきたことだし、今でも紙おむつが庶民レベルにまで普及していない国では、当たり前にされていることです。
それが、おむつなし育児という言葉でラベリングされたことで、全然違うイメージがつき、多くの誤解を招いているのは、本当に本当に残念なことだと思います。
だから、やっぱり私は、おむつなし育児という言葉は、使いません。ついてしまったイメージを「そうじゃないんですよぉ~」というところから話すのは、面倒くさいから(笑)
おむつはずしは、おむつはずし。親として子どもの排泄を自立させることです。
0歳から始めるのか、1歳、2歳、3歳から始めるのか…それによって、現代では違う名前=ラベリングがされているけれど、突き詰めればゴールは同じ。おむつではなく、排泄すべき場所で排泄できるように、子どもを育てることです。始める年齢が違えば、出来ることやれることやるべきことが異なる、ただそれだけのことです。
私は私の言葉で、興味を持ってくれた人に、私の体験談を伝えていこうと思います。
そもそも存在を知らない人のために、こういう選択肢もあるんですよ、という情報を発信していこうと思います。
選ぶのは自分。そもそも知らなければ選ぶことも出来ないから。選べる段階までの情報を発信することが、私に出来ること…と思っています。
サブロー、来月2歳になります。
1歳直前のころから、トイレは何をする場所かちゃんと認識していたし、そこに座ったら自分がなにをすべきかもちゃんとわかっていました。
今ではすっかり言葉で排泄の意思表示が出来るし、車に乗っている時だったりしたら、そこそこ我慢したりも出来るようになっています。
サブローが特別なんじゃないですよ♡
親が子どもの排泄欲に意識を向け、淡々とコツコツと、トイレに連れて行っていれば、言葉を覚えるのと同じように、生活の中で排泄すべき場所を覚えていきます。
それを知らなったという人には、そういうもんなんですよ!と伝えていきたいし。知っているけれどうまくいかない人には、何かしらのヒントをお話できたらと思っているし、興味がある人とはこのおもしろさを共有していきたいって思っています。
今、世間で当たり前になっているトイレトレーニングではなくて、子どもの排泄の自立に向き合いたいと思うお母さんとたくさんおしゃべりしたい。向き合いたいというその気持ちを応援したい。私の経験が役立つのであれば、それをたくさん共有したいと思っています!
たまに厳しいこといいますけどね(笑)
それでも、きっと楽しい発見がいっぱいありますよ♡
おむつはずしは、おむつはずし。いろんなラベルは取っ払って、子どもの排泄の自立をまじめに考えませんか?いろんな角度からの情報を得たうえで、自分は何を選択するのか、自分の考えで決めてみませんか?
それがもしかしたら、あなたにとって今後の子育ての、大きな軸になっていくかもしれません♡
追記
ひとつ補足を。
私がここで語ること、伝えたいことは、私の個人的な体験を基にしたものだ、ということをご承知おきください。私が伝えたいのは、“ものの見方”の一例であって、正論とかノウハウとかじゃありません。だから、特別な事情がある人は、その事情を大切にしてください。私の体験談が、すべての人にはまるとは思っていないです😌