小学生と大学生では、話が合わないというのは容易に想像が出来ますよね。
例えば、イギリス文学の話をするとしましょう。
普通の小学生と、イギリス文学を専攻している大学生とでは、同レベルの会話は出来ません。
持っている知識量が全然違うからです。
例えばゲームの話をしましょう。
ゲームオタクの小学生と、ゲームオタクの大学生。同レベルの会話は出来るでしょうか?
「ゲーム」というカテゴリの中では、会話が成り立つかもしれません。あるいは、同じように興味を持っている分野だからこそ、知識量が多い人が少ない方に寄り添うことで、年齢差や知識の差を超えて会話が成り立つかもしれません。
ここで関係しているのは、年齢ではなく“知識量”です。
持っている知識の種類と量の差によって、会話が成り立つか成り立たないかが決まってきますよね。
ごくごく当然のことです。
コロナやワクチンについて。よく「自己責任だ」とか「価値観の違いだ」という論点で語られることがありますが。
果たしてそうでしょうか??
責任の所在や価値観の話をするのであれば、最低限、同じレベルの会話が出来るくらいの知識の共有が必要なのです。
しかし、現状は、小学生と大学生くらいの差があります。
テレビ基準の人たちは、知識量が小学生。テレビの知識が非常に偏っているとわかっている人は、大学生くらいの知識量。
例えばですよ。例えばですが、このように考えることが出来るのです。
※ここでは例えるために小学生、大学生と言っています。実際の小学生がどうとか、大学生がどうかとかは、別の話ですよ~。
大学生レベルの知識を持っている人たちが、ワクチンの毒性を身内に伝えたくて、一生懸命説明しているのに「洗脳されてる」とか「宗教にハマってるの?」と言われて相手にされない、という話をよく聞きます。
これって仕方がないことなんですよ。
ワクチンでコロナをふせげる、と信じている時点で、免疫やウィルスについての知識が小学生レベルです。いえ、園児さんレベルです。
小学生や園児さんに対して大学生が、免疫の仕組みやウィルスの性質について話したところで、まったく理解できないでしょう。
わけわからないことを一方的に言われまくって、恐怖心を抱くことも想像に難くないです。「わけわかんない」といってその場から逃げ出すでしょう。
そして「お注射しましょうね♡」と優しくいってくれる馴染みの先生(テレビ)の言う通り、おりこうさんにお注射するのです。
これって、価値観の差、と言えるでしょうか??
相手が大人だとしても、持っている知識が園児レベルだったら、そもそもお話しにならないし、価値観の違いを認め合うというレベルにすら達していません。
だからね。
大学生レベルの知識を持っている人は、園児さんにもわかるように説明するか、あるいは、園児さんにはちょっと難しかったねとやさしく微笑み、他の方法で守る道を見つけるしかないのです。
同じ土俵に立っても、徒労に終わります。お互いのことを理解できずに、距離が離れていくだけです。
大学生がすごいとか、そういうことを言っているのではありませんよ。
十分な知識がなければ、良し悪しを判断することすら出来ないということです。
免疫やウィルスの知識がある人からみたら、コロナ怖いといっているのは、無知な子どもがオバケを怖がっているのと同じような感じに見えます。
さらに、利権問題や政治問題まで、知識がある研究者、専門家からみたら、大学生がいってることすら幼稚に見えることでしょう。
逆に小学生が、世界の歴史、日本の立場、そういう視点から物事をとらえ行動している人をみたら、得体の知れない恐怖を感じるかもしれません。
人は未知の物には不安や恐怖を覚えます。
だから知識がたっぷりある人たちは、子どもたちがとっても楽しい空間を作りながら、それと気づかせないように有害なものを与えるのです。
わかります??
無知で無垢な人をだまそうとするのは、知識がある人たちです。
仕組みがわかっているから、だませる人をだまして儲けようとしているんです。
2回打った人には3回目を、3回打った人には4回目を打たそうとするのです。現時点で打たない人はもう打つことがないだろうとわかっているからです。
コロナにかかったとか、感染が怖いとか、なぜ陽性になるのかがわからないとか、熱が出たらPCR検査受けなきゃ、とか思っている人は、この2年間のいろんなことに対する知識レベルが園児さんです。
園児さんは大学生に対して「洗脳されてる」とか「怖い」とか「わけわかんない」とか「嘘だ」と言いますが、それは知識量が足りていないからです。自分には理解できないことを洗脳とか宗教という実態の見えないものにくくっているだけです。
そして園児さん同士、「怖いね」「やばいね」「はやく終わってほしいね」と話しています。大学生はそれを見ても「うんうん、そうだね」とニコニコ受け流しちゃうのです。そうするしかないの。だって話が通じないんですもの。
このブログを読んでくれている人は、きっと園児さんではないと思う。もし「自分、園児さんかも!」と思ったら、まずは勉強しましょう。知識がなければ、まともな判断をすることは出来ません。
このブログを読んでくれている人で、身内や近い友人に園児さんがいて、でもなんとか守ってあげたくて、どうにかわかってほしいと悩んでいる人がいたら。
軽くあきらめましょう。だって、園児さんにどんなにかみ砕いて話したとしても、やっぱり理解することは出来ないだろうから。
グラフも読めない、数字も読めない、自分で自分の行動すら決められない、そういうレベルにいる人と、話が合うはずがなく、同じような理解を求めても無理があるのです。
軽くあきらめて、でも出来る範囲で守るためにはどうしたらいいかを考えましょう。
私は、こんな風に書くとなんでもわかっているというように見えるかもしれませんが、決してそんなことはなく。
日々、知らなかったことを知って、びっくりしたり呆れたり、振り回されたりしています。
私は園児さんではなく、大学生くらいです。
なぜなら、大学生って専門家になるために勉強している段階ですよね。自分の意志で大学まで行き、そこで自分で研究を進めていくのが大学生。
だから、私は大学生くらいかなと自分で思うし、私の周りにいる人たちの多くは、同じ大学に通っている同級生かなと思います。
でも、たまに大人ぶった園児さんが紛れてるの。
めっちゃ困るけど、無視も出来ない。
ね、困るよね(笑)
本当は園児さんにもわかるように話してあげたいけれど、こればっかりは本人が知りたいとか理解したいという気持ちがない限り無理なんですよね。
拒絶されたらそこで終わり。
同じ土俵で会話は出来ません。
園児さんは調べる力がないから「じゃぁどこで調べたらいいんですか!」と、クレクレ星人になりがちですが。
まずはテレビを消すこと。Yahoo!を見ないこと。
免疫とウィルスについて、専門家が書いた本を読むこと。コロナとか全然関係ない時代に書かれているものがベスト。
どこから読み始めていいかわからなければ、まずはおすすめは本間真二郎先生。Amazonで検索して、興味を持てそうな本からまずは読んでみましょう。
それを面倒くさいとか言うのは、本当に園児さん。難しすぎてわからないからと避けていたら、そこから成長することは出来ません。
最低限の知識がある状態で、価値観の話をするのは有意義だと思う。
免疫のこともウィルスのことも勉強して、ワクチンの有害性もわかっていて、それでもどうしても打たなければいけない、という人を、私は否定しません。それこそ大人だから、自己責任で判断するしかない(本音としてはありえないですけどね…。でもわかってて打つのであれば、もうそれは価値観の違いとしか言えない…)。
でもそういうことを知らずに、テレビレベルの知識だけで、みんなが打ってるから打つ、世間の目が怖いから子どもに打たすっていうのは、ほんともう言語道断。怒りすら覚えます。無責任すぎる。
…けどねー。
はぁ…。相手が園児さんだと何を言っても通じないのです(´・ω・`)
年齢だけ大人で、知識は子ども。
体はオトナ、頭はコドモ!迷探偵なんとか!だわ…←いいネタが思いつかない(笑)
こういうブログもさ。
読んでくれるのは話が通じる人ばかりで^^;
園児さんはそもそも読まないんですよね。
私がめっちゃ敬愛している中戸川先生も、食の面で著書をたくさん読んだ幕内先生も、講演会で言ってました。
「ボクの講演に来る人はすでにマニアなほど知識がある。本当に講演を聞いてほしい人は全然聞きに来ない」って(苦笑)
ね。ほんとそう。
園児さんに伝えたいことがいっぱいあっても、園児さんは園児さん同士遊ぶのが楽しくて。
大学生の話には興味がないのです。
ん-ーーっ、残念!
現実には、大学生レベルの知識をもつ子どもたちがたくさんいる。子どもの方が純粋にコトを見ている。軽い風邪で外出できないの、おかしいでしょ。っていうたったそれだけのこと。わからない年齢だけ大人が多すぎるよね。
みんなとおしゃべり